社 名 | 千巻印刷産業株式会社 |
代表取締役 | 塚本 誠 |
設 立 | 昭和21年 |
従 業 員 | 31名 |
業 務 内 容 | 販売促進業 |
社 名 | 千巻印刷産業株式会社 |
氏 名 | 塚本 誠 |
肩 書 | 代表取締役社長 |
年 齢 | 51歳 |
外部団体の役 | 三重県印刷工業組合 理事:三重県印刷工業組合青年部 監事:三重県次世代育成ネットワーク委員:三重県中小企業家同友会南勢支部 |
会社に入社するまでの簡単な歴史 | 会社の構想(これからどうしていくのか?) 我々の仕事は、情報伝達を通じて、販売促進をしていかないといけない。特にコロナ禍でビジネスモデルの構築を進化させることが必須となってきた。今までみたいに「今ある仕事」を価格競争で追っかけるのではなく、何のためにそれをしているかという根本の理由を理解し、創造していかないといけない。これからの時代は仕事を創っていかないといけないのではないか。 支店への想い(支店でやりたいこと) まずは、学ぶよりまねろの方針で、グループ内の成功事例をマネして結果を出したい。そして基本の型が吸収出来たら、自社流にマイナーチェンジをし、弊社の強みにしていきたい。 |
印刷業界への想い | 私がこの仕事をするわけ 「お前の会社、ゴミつくっとる会社やろ」といわれて「親が営んでいた会社だから、いつかはやるんだろうな」と幼少のころからうすうすは感じていた。 中学生のころ「俺は拳1つで世界をとるんや」と反抗していた時もあったが、大学を卒業し、名古屋の印刷会社で製造・制作・営業と4年間勉強させてもらった後、実家の会社で働くようになった。 輪転機を一年ほどやってから、営業についた。どうせやるなら、商圏を広げようと南勢エリアから中勢エリアまで広げようと三重県庁を中心に回るようになった。 一日約880枚、県職員に名刺を配ることを毎日続けた。1階から8階まで一人ずつ名刺を配ると、真冬でもシャツがベタベタになるほど汗をかいた。1ヶ月2ヶ月3ヶ月と毎日名刺を配り歩いたが、一向に仕事がとれない。 そしてとうとう6ヶ月。「もうやめよかな」私の精神もギリギリまで追い詰められていた。 そしていつものように名刺を配っていたら、消防防災課の主査さんが 「あんたいつも回ってくれとるで、この冊子、予算見積りとってきてくれる。とってきてくれたら入札に参加できるで。」目頭が熱くなった。 「ありがとうございます。頑張ります」そう言って予算見積りをとり、入札も落札できた。あの時の担当者には、感謝の念しかない。その方のおかげで実績ができ、入札・見積合わせに声がかかるようになった。(当時は電子入札ではなく、情報もオープンではなかった)出先機関があることも教えてもらい、商圏を増やすことができた。そしていつものように営業をしていたら、ある方から「お前の会社、ゴミつくっとる会社やろ」と言われた。 祖父から始めた印刷会社。祖父・父のやってきた仕事を真っ向から否定された。 印刷という仕事は価値がないのか、世の中の役にったっていないのか、印刷物の価値はどこにあるのだろうか。仕事に対する迷いが出始めた。そして商品に対する自信がなくなっていた。 その時、印刷物の様々な役割と付加価値を教えてくれる人にであった。 名刺の役割、DMの役割、会社案内・商品カタログなど様々な販促ツールの役割を学んだ。 そしてそれは顧客心理の段階に応じて使い分けることも学んだ。 マーケティングプランナーとして世の中の経済を上げていく役割があるのだと、自分の仕事に熱い使命感を感じた。 |